名画「で」遊ぶシリーズ9/円山応挙『竹林七賢図』
そんなわけで、またまた空いてしまいました。さて、唐突ですが今回は作りおき料理の女神・ちまこ姐様(id:chimako-tsushin)からのお題を遊びたいと思います。ちま姐様、何いいの? え、何? 和モノ?
ち(*´∀`)<「円山応挙の人物画」と「尾形光琳の風景画」ヨロ!
oh!! 光琳'sランドスケープisくっそムズいNE! 前者だけで勘弁してください。
いつも美味しいお惣菜を作ってくれるちま姐様のためにがんばりませう、ということで、代表作である金刀比羅宮表書院の16障壁画の中から抜粋して『竹林七賢図』を。「ことひらぐう」って読むんだぜ、読めねぇよ( ゚д゚)、ペッあぁ、日本語、難しい。
円山応挙さんについてウィッキー先生にきいてみた
円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期~後期の絵師。
近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
某おクイズではこの人の名前を答えさせる問題ばかりなので、名前と幽霊のくだりしか知らないんですよねー。というか、(^ω^)ペロペロすべきおみ足を隠してしまうなんて許せない!(←おまわりさんこっち!)ちなみにこの後、とぐろを巻いたウンコみたいなおみ足の幽霊を一番最初に書いたのは誰なのかも気になるところ。
違う、そっちじゃない、戻ってこい、おれ。人物画ですよ、人物画人物画…うーん、ないよーちま姐様ないよー…と思ったらあった。
人物画というリクエストに応えるとなると多分これ一択。
金刀比羅宮表書院6室のうち4室の障壁画の応挙作、その中の「七賢の間」の一部。ホントは何枚にも分かれてちゃんと"七賢"が描かれているんだろうけれど、これしか見つからなかったのでこれで遊ばせてもらいましょう( ^ω^)
いかにも徳があって賢そうなユニット名「竹林七賢」に騙されるな
最初は「竹林に集いお互いに思想を持ち寄ったり掘り下げたりしている七人の有識人たち」って意味だと思ってたの。字面からそんな感じムンムンじゃん? でも違った。全っ然違った。そんな彼らのことをざっくりまとめると。
- 3世紀後半(250年~)に中国・河南省の竹林に集って遊んだグループのこと
- メンバーは阮籍(リーダー格)、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸の7人
- 礼教を軽視し、世俗に背を向け、酒を飲んでは清談三昧、ようはやりたい放題
- 全員が文人(学者)や官僚のドロップアウト組
「清談」というのもまた彼らが持つ独自の思想なわけなんだけど、「オレ達の考えはお前らと違うんだよ」とか「オレら善、他みんな悪」的な二元論がすごい。全員エリートのアウトローという経歴もイヤミで素敵だ。
中でもリーダー・阮籍(げん・せき)のワルな逸話には噴いた。
↑「オレにはむかうヤツには白眼、酒持ってくるヤツには青眼で迎えるぜ!」とわかりやすい阮籍さん
当時の礼法では、喪中には酒や肉を断つ義務があったが、母の葬儀日にも大酒を飲んで肉を食い、母の棺と別れた後、もうだめだと言って血を吐いて倒れた。
うん、お前はもうだめだ人として。
『西遊記』ごっこ、やろうぜ!(by阮籍)
というわけで、改めてこの図を再確認↓
人として認められない暴挙かましまくりの竹林七賢(←チーム名)。残った道は天竺行って、お釈迦様からありがたいお経をもらい、権力つけてやろうじゃないか。そう、これは彼らの「西遊記」! ただ、行方不明だったりなんか殺されちゃったりして残ったのはこの4人。
多分これが阮籍。認めたくないけど三蔵法師役。なぜならリーダーだから。
奥の恰幅いいのが山濤(さん・とう)。だって身なりそれなりに整ってるし、官職に仕えたエリートだから(←すげぇ適当)。手前のじーさまは劉伶(りゅう・れい)。酒の飲みすぎでヨボヨボプルプル、杖が手放せない(ちなみに阮籍も)。どっちが沙悟浄でどっちが猪八戒かは微妙だなぁ…。どっちでもいいや(←おい)。
最後に離れてトボトボ歩いているのが孫悟空役の阮咸(げん・かん)だ。阮籍の身内なので、荷物持ちとかをさせられて目が完全に死んでいる。いつか暴れる。
以上のメンバーで目指せ天竺、ありがたいお経ゲッツ、偉くなって上からモノ言ってやるんだぜぇヘイヘイヘイ! という内容にとれないだろうか。ちょっと苦しいな。というか、こんな『西遊記』知らねぇよ! 私の知ってる『西遊記』は…。
ξ゚⊿゚)ξ<こっ、こっちの方なんだからね!←それは『最遊記』です
お題を下さったちま姐様ありがとうございましたー! サー次はなんだ!?(←メモ帳開く) …「エウロペ」って打ってあった…グヌヌ⊂(´・ω・`⊂⌒⊃ムズス